【長浜】都久夫須麻神社
~宝厳寺から続きます~
宝厳寺観音堂から続く船廊下を渡ると都久夫須麻神社の本殿に。
神殿として寄進したものだそうです。
本殿内部は狩野永徳・光信の天井絵、襖絵で飾られています。
御祭神は
市杵島比売命(弁財天・宗像大神)、宇賀福神、浅井比売命(産土神)、龍神。
雄略天皇3年に浅井姫命を祀る小祠が建てられたのが創建。
龍神拝所からは鳥居が見えます。
地面に落ちている貝のような物は皿。
2枚の皿の1枚に名前を、もう1枚に願い事を書いて、
ここから投げて鳥居を通ると願いが叶うという「かわらけ投げ」をします。
これはかなり難しい。
1枚は湖に、もう1枚はそのまま地面に落ちました。
船からみた龍神拝所はこんな感じ。こんな崖に建っています。
ちなみに竹生島誕生の伝説。
伊吹山の神(多多美比古命)が姪にあたる浅井岳(金糞岳)の浅井姫命と高さ比べをし、
負けた多多美比古命が怒って浅井姫命の首を斬ったところ、
湖に落ちた首が竹生島になったそうです。
怖い話です>_<
この日は神社がお休みで御朱印は頂けませんでした。
お休みなんて流石は人の住んでいない島。
残念だけどまた行く楽しみが出来たので良しとします。
【長浜】宝厳寺
長浜港から船で25分。
琵琶湖の北端近くに浮かぶ竹生島へ。
2つのコブが見えてきます。
弁才天信仰の聖地でもあり、日本三大弁才天の1つ(他は厳島神社と江島神社)。
島の名前の由来は「(神を)斎く島」→「つくぶしま」→「竹生島」。
神社とお寺があるだけの周囲2㎞の小島は島全体がパワースポットとなっています。
島に着くと頂上に三重塔が見えるので、まずはそこを目指します。
現在神社とお寺は一応別になってはいますが、神仏習合の名残で鳥居があります。
階段途中の手水舎は深さ230m(湖底130m)より汲み上げられています。
上り切るとちょっとした広場になっており、不動明王像と本堂があります。
聖武天皇が天照皇大神より「湖中の小島は弁才天の聖地であるから寺院を建立せよ」
というお告げを受け、僧・行基に開基させたのが始まり。
中には「弁天様の幸せ願いだるま」がずらりと並んでいます。
願い事を書いた紙を収めて奉納します。
狛犬は逆立ちしていました!!可愛過ぎる!!
重要文化財の五重塔は、鎌倉時代のもので全国でも珍しいものだそうです。
納経所では観音様と弁財天の御朱印があり、今回は弁財天を頂きました。
向かいに建つ三重塔は江戸時代初期に焼失し、2000年に再興されています。
樹齢400年。豊臣家ゆかりのもちの木。
ここから琵琶湖が覗けます。
階段を降りていくと秘仏である千手観音像を安置する観音堂があります。
西国三十三所観音霊場第30番札所。
ですが、工事中…!
国宝の唐門は豊国廟(豊臣秀吉の霊廟)の唐門を移築したもので、
元は大坂城の極楽橋の一部だったそうです。
華やかな門だったそうなので見たかったです。
観音堂からそのまま屋根付きの渡り廊下を進むと都久夫須麻神社に行けます。
豊臣秀吉の御座船の用材を用いて建てた事から「船廊下」とよばれています。
全ての工事が完成したらまた見に行きたいです。
神社からの帰りに廊下の床下が見えます。
傾斜地に建つので、長い柱を立てて支える懸造となっているのが分かります。
次は都久夫須麻神社へ!
【京都】相国寺
正式名称は萬年山相國承天禅寺。
足利義満により創建。
豊臣秀頼の寄進により再建されたという法堂へ。
幾度も焼失と復興の歴史を繰り返しましたが、
現存する法堂は日本最古の法堂建築として再建された物。
天井にある龍の絵はどこから見ても目が合い、迫力があります。
特定の場所で手を打つと反響するため「鳴き龍」と呼ばれています。
方丈の前庭は何も無いシンプルな空間。
真っ直ぐな模様が入っていましたが、
動物が通った様な足跡が付いており微笑ましく思いました。
内部では襖絵なども見られますが、観音菩薩画像が凄かったです。
法華経の経文で描かれた文字絵。
言われないと気付かない位細い線で輪郭を作ったり色を付けたり。
気が遠くなります。
西の庭。松の木が立っています。
裏庭。昔は川が流れていたそうです。
砂利の白、松や苔の緑、紅葉の燃えるような赤…。
日の光も入ってきて、角を曲がる度に違った景色が楽しめます!
御朱印は2種類。
無畏堂のものと若冲のもの。
法堂は「無畏堂」とも言い、畏れる事無く法を説くお堂という意味だそうです。
夢窓疎石像を安置する開山堂の前庭には石庭。
本山である相国寺の塔頭寺院となっています。
今年は伊藤若冲生誕300年。
若冲の絵がコロタイプ印刷という技術により精密に復元されたそうです。
つい最近まで全然知らなかった画家だけれど
以前参拝した宝蔵寺で若冲の御朱印を頂き、
その後参拝した義仲寺の天井画でもまた若冲の絵に出会い、
何かと縁があるなと気になっていました。
間近で見てみてその絵の凄さに気付きました。
羽毛等の線の一本一本が細かく繊細で、微妙な色味の変化も綺麗に描かれています。
美術館前の庭も紅葉が綺麗で、紅葉の絨毯が出来ていました!
【大津】近江神宮
御祭神は天智天皇(天命開別大神)。
漫画「ちはやふる」の舞台となっている注目の神社。
漫画でも見覚えのある風景。
楼門が美しいです。
毎年競技かるたのチャンピオンを決める名人位・クイーン位決定戦が行われています。
紀元2600年にあたる1940年に創祀。
それまでの都から離れた地ですが、
大化の改新の理想に基づいた政治改革を行う為に人心の一新を図ると共に
白村江での敗戦後、本土侵攻の危機に備えて
天然の要害であり交通の要衝でもある大津に遷都したと考えられています。
壬申の乱の敗戦によりわずか5年半の都に終わります。
本殿・拝殿を回廊が取り囲んでいます。
歌人達の絵札が並んでいます。
時間が無くて入れませんでしたが、時計館宝物館もあります。
天智天皇が日本で初めての時計である漏刻を設置した経緯から設立され、
世界の時計や色々な復元模型が展示されています。
屋外には日時計が展示されています。
【大津】園城寺(三井寺)
天台寺門宗の総本山。山号「長等山」。
ここでは5つも御朱印が頂けます!
天智天皇が念持仏の弥勒菩薩像を本尊とする寺を建立しようとするが志を果たせず、
子の大友皇子も壬申の乱のため没し、その子である大友与多王が寺の建立を発願。
「園城寺」の寺号を与えました。
荘園城邑(田畑屋敷)を投げ打って建立しようとする志に感じて名付けたそうです。
9世紀に唐から帰国した留学僧円珍(天台寺門宗宗祖)によって再興。
10世紀頃から比叡山延暦寺との対立抗争が激化し、焼き討ちされる事が度々あり、
豊臣秀吉によって寺領を没収されて廃寺同然となった事もありますが、
その都度再興され、「不死鳥の寺」と称されています。
大門を入ってすぐにあるのが釈迦如来を祀る釈迦堂。
更に進むと総本堂である金堂。
手前に鐘楼があり、「三井の晩鐘」で知られる梵鐘を吊っています。
日本の残したい音風景百選にも選ばれている程の音色だそうです。
金堂横の閼伽井屋には三井寺の名の起こりとなった霊泉が湧出しています。
天智・天武・持統の3代の天皇の産湯として使われた事から「御井」の寺と言われ、
三井寺となったそうです。
金堂近くの霊鐘堂に弁慶の引き摺り鐘と呼ばれる梵鐘があります。
奈良時代に遡る日本でも有数の古鐘。
俵藤太秀郷がムカデ退治のお礼に琵琶湖の竜神から授かった鐘だと言われ、
その後比叡山と三井寺の争いに際して、弁慶が奪って比叡山に引き摺り上げたが、
鐘が「イノー」(帰りたいよう)と鳴ったので、
弁慶が怒って谷底へ捨てたとされています。
その時の絵がこちらです。
回転式の八角輪蔵があります。
三重塔。
奈良の寺にあった塔を豊臣秀吉が伏見城に移築し、徳川家康が再移築させたもの。
この辺りは落ち着いた雰囲気で、様々な映画のロケ地にもなっています。
三井寺の五別所の一つで湖国十一面観音霊場の第1番札所の微妙寺。
観音堂は西国三十三所観音霊場の第14番札所になっています。
琵琶湖を望む高台に位置し、土産物屋では名物の力餅をその場で食べられます。
鐘を弁慶が比叡山まで引き摺った怪力にちなんで作られています。
本尊は薬師如来。
広くて見所いっぱいでした。
広報僧「べんべん」くんはこの日は不在でしたが、名刺もあって手が込んでいます!
弁慶の引きずり鐘と千団子祭りの亀をモチーフにしており、特技はほら貝を吹く事。
機会があれば会いたいです。
【京都】錦天満宮
新京極商店街の中を歩いていていると見付けた、狭いながらも賑わっていた神社。
闇の中に爛々と輝く提灯が美しく、ついつい引き込まれてしまいました。
せっかく綺麗な写真をたくさん撮ったのに、
誓願寺に続き、写真が消えてありません(´△`;)
特に由緒の深い二十五社「菅公聖跡二十五拝」の第二とされるそうです。
平安前期、菅原道真公の生家「菅原院」に創建され、後に「歓喜寺」と寺名に改称。
300年後、善導寺に寄進されると同時に「天満宮」に改められ崇敬、奉祀されました。
豊臣秀吉の都市計画により「金蓮寺」の敷地に移転し、「錦天満宮」として鎮座。
残された神社は社地を縮小し、現在に至ります。
御朱印は書置きで頂きました。
記念スタンプも押せます。
授与品の中には、木でできた丸い「大願梅」があります。
願い事を記して封をし、境内の「大願梅の樹」に吊るします。
クリスマスツリーのオーナメントの様になっていました。
獅子がおみくじを運んでくれる「からくりおみくじ」や
道真公の生涯を説明する「紙芝居ロボット」もあり、参拝者を楽しませてくれます。