さすらいネコの旅

寺社巡りしています。

【大阪】三光神社

大阪冬の陣真田丸があったとされる地。

真田幸村ゆかりのスポットが点在!

昔は姫山神社(姫の松原の遺称)と呼ばれていました。

f:id:sasurai-neko:20170527005830j:plain

創立は反正天皇の御代。

御祭神は天照大神、月読尊、素戔鳴尊

f:id:sasurai-neko:20170527005831j:plainf:id:sasurai-neko:20170527005832j:plain

 

真田幸村の像。

その台座は信州上田の真田家菩提寺長谷寺より取り出した石が使われています。

f:id:sasurai-neko:20170527005833j:plain

大坂城から通じる地下の抜け穴が三光宮鎮座の階下に今も残されている事に驚きです!

【大阪】玉造稲荷神社

大阪城の近く。

5世紀頃、勾玉を作っていた玉造部の居住地だったと言われています。

f:id:sasurai-neko:20170527005829j:plain

f:id:sasurai-neko:20170527005828j:plain

創祀は垂仁天皇の代。

聖徳太子物部守屋公と争われた際、

この玉作岡に陣を敷き

「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願。

のちに枝葉が生じ、戦いも無事に終わったそうです。

 

主神は宇迦之御魂大神

相殿に下照姫命、雅日女命、月読神、軻遇突智命を祀ります。

豊臣秀吉公は稲荷神を崇敬し、大阪城鎮守神としました。

f:id:sasurai-neko:20170527005827j:plain

豊臣秀頼公の像。

兵乱により焼失した社殿を再建。

f:id:sasurai-neko:20170527005825j:plain

 

f:id:sasurai-neko:20170527005826j:plain

左は万慶稲荷神社、新山稲荷神社。

徳川時代大坂城内各屋敷に祀られていた稲荷神を一社に集め、遷座

右は豊臣秀頼公胞衣塚大明神。

秀頼公と母・淀殿を結ぶ卵膜・胎盤などの胞衣を祀っています!

子の悩み、夜泣きにも霊験あらたか。

 

豊臣秀頼公奉納の鳥居。

大阪での石製鳥居としては、四天王寺正門の鳥居と共に古く、

阪神淡路大震災により、基礎に損傷を受けました。

f:id:sasurai-neko:20170527005823j:plain

 

境内の隅にひっそりと立つ顕彰碑。

豊臣時代、玉造禰宜町の地で千利休が屋敷を構えていたと言われ、

利休の茶の心「和敬静寂」が彫られています。

f:id:sasurai-neko:20170527005824j:plain

【大阪】豊国神社

大阪城の桜門前に建ちます。

豊臣秀吉、秀頼、秀長公を祀る出世開運の神社。

中央には秀吉公の銅像

f:id:sasurai-neko:20170527005819j:plain

明治天皇の命で、京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿を造営。

大阪には豊国神社の別社として中之島字山崎の鼻に創立。

現在地には昭和36年遷座

この地は石山本願寺の宗徒が11年に渡り信長の猛攻に対抗し続けた要害堅固な土地。

秀吉公は居城を築くにあたり、この地を選んだそうです。

f:id:sasurai-neko:20170527005820j:plain

f:id:sasurai-neko:20170519111059p:plain

 

秀吉と言えば猿。

この日は神戸の劇場から猿回しが来ていました。

可愛い服を着たお猿さんが見事な技を披露していました!

f:id:sasurai-neko:20170527005821j:plainf:id:sasurai-neko:20170527005822j:plain

【京都】吉田神社

859年、藤原山蔭が一門の氏神として春日大社の神を勧請したのが始まり。

後に藤原氏全体の氏神となりました。

祭神は勧請元の春日大社と同じ。

建御賀豆智命(武甕槌命

伊波比主命(経津主命

天之子八根命(天児屋根命

比売神

 

鎌倉以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職相伝するようになり、

室町末期には吉田兼倶吉田神道唯一神道)を創始しました。

吉田家は江戸時代、全国の神社の神職の任免権を与えられ、

明治になるまで神道界に大きな権威を持った家系です。

f:id:sasurai-neko:20170424000031j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000032j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000034j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000033j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000035j:plain

 

境内は広く、裏の方は小高い山になっています。

f:id:sasurai-neko:20170424000036j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000030j:plain

竜沢池。

f:id:sasurai-neko:20170424000037j:plain

奈良の猿沢池を真似てつくられた池で、かつては雨乞い神事が行われていました。

 

お菓子の神様がいらっしゃり、製菓業者の信仰を集めます。

f:id:sasurai-neko:20170424000038j:plain

山蔭神社は料理の神様。

f:id:sasurai-neko:20170424000041j:plain

 

吉田神道の拠点として斎場所大元宮を建立。

八角形の本殿に六角の後房を付けた特異な形。

f:id:sasurai-neko:20170424000044j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000043j:plain

祭神は天神地祇八百万神。

延喜式内社全3132座の天神地祇八百万神を祀っています。

この大元宮は御朱印にも押されています。

f:id:sasurai-neko:20170424000716p:plain

 

f:id:sasurai-neko:20170424000042j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000040j:plain

木々に囲まれ、気持ちの良い神社でした。

f:id:sasurai-neko:20170424000045j:plain

【京都】御霊神社

正式名は御霊神社ですが、下御霊に対応して上御霊神社と呼ばれています。

f:id:sasurai-neko:20170424000021j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000020j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000019j:plain

祭神は「八所御霊」。

藤原大夫人(藤原吉子桓武天皇皇子伊予親王の母)
橘大夫(橘逸勢
文大夫(文屋宮田麿
▼後年追加。
火雷神(以上六柱の荒魂)
吉備大臣(吉備真備

火雷神菅原道真、吉備聖霊は吉備内親王等、色々な説があるそうです。

 

御朱印には「応仁乱東陣」。

畠山政長畠山義就との私闘が境内の森で行われ、応仁の乱発祥の地とされています。

f:id:sasurai-neko:20170424000715p:plain

 

清明心の像。

甕に落ちた友達を、甕を割って助けている場面です。

f:id:sasurai-neko:20170424000018j:plain

 

桜が満開!良い季節に来ました~!

f:id:sasurai-neko:20170424000023j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000024j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000022j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000025j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000027j:plainf:id:sasurai-neko:20170424000028j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000026j:plain

【京都】行願寺

西国三十三所第十九番札所。

天台宗の寺院で、山号は霊麀山。本尊は千手観音。

f:id:sasurai-neko:20170423235713j:plain

1004年、行円が一条小川の一条北辺堂跡に創建したもの。

仏門に入る前は狩猟を業としていた行円が、

山で身ごもった雌鹿を射たところ、子鹿の誕生するのを見、

殺生の非を悟って仏門に入ったと言われています。

行円はその鹿の皮を常に身に付けていた事から皮聖、皮聖人等と呼ばれ、

寺の名も革堂と呼ばれました。

▼行円上人

f:id:sasurai-neko:20170423235711j:plain
f:id:sasurai-neko:20170424000803p:plain
七福神が並んでいます。
 

f:id:sasurai-neko:20170423235712j:plain

可愛いネコちゃんが居ました!

f:id:sasurai-neko:20170423235710j:plain

 

 

【京都】下御霊神社

政争に巻き込まれて憤死した人々を祀る御霊神社。

上御霊、下御霊があり、こちらが下御霊。

桓武天皇の時代に各地で疫病が流行し、御霊の祟りであるとして

平安京神泉苑で御霊会を開催したのが始まり。

御所の産土神です。

豊臣秀吉の都市整備にともない現在地に遷座されています。

f:id:sasurai-neko:20170423235441j:plainf:id:sasurai-neko:20170423235442j:plain

f:id:sasurai-neko:20170423235445j:plainf:id:sasurai-neko:20170423235443j:plain

御祭神は八所御霊。

吉備聖霊(六座の神霊の和魂)

崇道天皇桓武天皇の皇太子、早良親王

伊予親王桓武天皇の皇子)

藤原大夫人(伊予親王の母、藤原吉子命)

藤大夫(藤原広嗣命)

橘大夫(橘逸勢命)

文大夫(文屋宮田麻呂命)

火雷天神(六座の神霊の荒魂)

相殿に天中柱皇神・霊元天皇

 

末社天照大御神も祀っています。

f:id:sasurai-neko:20170423235446j:plain

桜も少し咲いています。

f:id:sasurai-neko:20170423235444j:plain

f:id:sasurai-neko:20170424000714p:plain