さすらいネコの旅

寺社巡りしています。

【枚方】機物神社

七夕伝説発祥の地という説がある機物神社

七夕のお祭は大変賑わうそうです!

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御祭神は天棚機比売大神栲機千々比売命大神、地代主大神、八重事代主大神。

古代、枚方市「津田」を「秦田」、「倉治」を「秦者」といっていた時代があり、

「ハタモノの社」が、後に七夕伝説と結び付けられたという説があります。

大陸から渡来した秦氏に代表される交易商人の一部が定住したと言われています。

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拝殿の前には3組もの狛犬

どれも可愛らしいです。

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祭神に出雲系氏族の神の地代主命や事代主命が含まれます。

農耕・産業を司りますが、軍神としても尊ばれ、

信長や光秀・秀吉・家康らにより庇護。

七夕伝説と結びつき、手芸・学問の神にもなっています。

冬至の日に境内から交野山に重ね合わされた日の出が見られ、

祀ができる以前は山そのものが御神体だった様です。

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【枚方】春日神社

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1441年、春日大社より勧請。

御祭神は、武甕槌命経津主命天児屋根命・比咩大神、

そこに土地の神様として火産霊命が配祀されています。

 

春日大社の神使、鹿の像。

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この辺一帯は茄子作。

茄子の産地だったとか…。

茄子のキャラクターを発見しました…!

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御朱印も茄子が描かれるという事で期待していましたが、

社務所が閉まっていました。残念。

【枚方】片埜神社

交野郡一宮。

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垂仁天皇の代、出雲国野見宿禰が、当麻蹴速との相撲に勝ち、土地を拝領。

出雲の祖神である素盞嗚尊を祀って一族の鎮守としたのが始まり。

「片埜」はこの一帯の古名で、交野市の地名の由来でもあります。

野見宿禰の後裔である菅原道真が天神として祀られる様になると、菅原道真が配祀。

また、櫛稲田姫命と八嶋士奴美神を配祀。

かつては広大な社地を有し、桜の名所として歌枕ともなっていました。

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豊臣秀吉により復興され、大坂城の鬼門鎮護の社とされました。

大坂城天守の北東の石垣に鬼面を刻み、対面させたそう。

後秀頼により本殿、拝殿の社殿が大造営。

鮮やかな社殿の色味は当時と同じ材料を使って再現されているそうです。

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後の近隣神社の合祀により天照皇大神品陀和氣命天児屋根命八幡大神

久那戸神、八幡大神、久須須美大神、事代主命が加えられています。

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鬼門除けの神社とされた事から、現在でも方除・厄除の神。

鬼は片埜神社の象徴・守り神。

絵馬や御朱印には鬼面が描かれており、

節分の豆まきでは「鬼は内」と唱えるそうです。

良い顔されています!

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【京都】金戒光明寺

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浄土宗大本山紫雲山・くろ谷。

本尊は阿弥陀如来

15歳で比叡山に登られた法然が43歳の時山頂の石の上で念仏。

光明が辺りを照らした事から この地に初めて草庵を結ばれました。

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西2㎞の京都御所、西10㎞の小倉山を眺め、18もの塔頭寺院が建ち並びます。

御影堂の文殊菩薩

奈良の「安倍の文殊」、天橋立の「切戸の文殊」と共に日本三文殊の一つです。

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ここは幕末京都守護職会津藩の本陣にもなり、新選組発祥の地。

江戸幕府は、何かある時に軍隊が配置できる様、

黒谷と知恩院をそれと分からない城構えとしました。

小高い岡になっており、要所にも近く、自然の要塞。

約4万坪の寺域には大小52の宿坊があり、

大方丈及び宿坊25ヶ寺を寄宿の為に明け渡しました。

八月十八日の政変の日、新選組の命名と共に市中取締の命を受けました。

 

話題のアフロ如来

こんなに大きな頭を持っているのに、目立たないところにひっそり座っていました。

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正しくは「五劫思惟阿弥陀仏」。

気の遠くなる程長い時間修行をした姿を現した仏像。

”劫”とは時の長さを表していて、”一劫”は

「四十里立方の大岩に天女が三年(百年とも)に一度舞い降りて羽衣で撫で、

その岩が無くなるまでの長い時間」の意味。

厳密に計算すると一劫は約43億年!ひぇー!

 

御朱印にもアフロ如来が押されています。

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土産物にもアフロ!

くせになる可愛さです!

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【京都】大豊神社

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哲学の道を進んで行くと着きます。

 

丸々太った狛犬。頭が平らです。

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御祭神は少彦名命、応仁天皇菅原道真

宇多天皇の病気平癒のため藤原淑子が創建。

兵火で焼失したが再建され、この辺一帯の産土神とされています。

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縁結び、健康長寿の大国社。

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大国主命をお祀り。

大国主命が火攻めに遭った際、ねずみが現れて洞窟にかくまってくれたそうです!

ねずみ年には嬉しい狛ねずみ!

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火難除けの愛宕社には狛鳶、災難除けの日吉社には狛猿。

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金運恵授の狛巳。

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動物盛り沢山で可愛らしい神社です。

 

御朱印の日付がサインペンだった事に衝撃。

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創建当時は背後の椿ヶ峰という山の中にあり、椿峰山天神と呼ばれていました。

今でも椿の名所です。

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【京都】法然院

静かで落ち着いた空間の向こうに見える光が美しい!

気持ちが高まります。

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山門を入ると、両側に白い盛り砂。

水を表す砂壇の間を通る事は

心身を清めて浄域に入る事を意味しているそうです。

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法然上人ゆかりの地。

後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中、院の女房が法然の弟子を慕って出家。

上皇の逆鱗に触れ、法然讃岐国へ流罪、弟子は死罪。

その後草庵は荒廃するが、

江戸時代初め、知恩院和尚が念佛道場を建立することを発願し、

現在の伽藍の基礎が築かれました。

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地蔵菩薩や石塔があります。

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緑豊かな境内です。

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【大阪】三光神社

大阪冬の陣真田丸があったとされる地。

真田幸村ゆかりのスポットが点在!

昔は姫山神社(姫の松原の遺称)と呼ばれていました。

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創立は反正天皇の御代。

御祭神は天照大神、月読尊、素戔鳴尊

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真田幸村の像。

その台座は信州上田の真田家菩提寺長谷寺より取り出した石が使われています。

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大坂城から通じる地下の抜け穴が三光宮鎮座の階下に今も残されている事に驚きです!