【山口】山口大神宮
大内義興が勅許を得て、伊勢皇太神宮のご分霊を勧請したという神社です。
京都で応仁の乱が起こり、都から移り住む公卿や文化人が多くなると
山口は西の京都と言われていました。
義興は京都に滞在中、伊勢の皇太神宮に参拝し、山口に勧請したいと考えたそうです。
帰るとすぐ社地を視察し、社殿を建立し、神霊を遷宮しました。
当初の社号は「高嶺神明」。
「高嶺太神宮」「今伊勢」と呼ばれ、県社となり「高嶺神社」となった後、「山口大神宮」と改称。
石段の途中に江戸時代に寄進された木彫りの神馬が居ます。
更に上へ。
伊勢神宮と同様の内宮・外宮があり、それぞれに隣接して別宮・摂社があります。
左が外宮。右奥に見えるのが内宮です。
それぞれの横には空間があり、ちょっと寂しく見えますが、次回遷宮の為の敷地だそうです。
皇太神宮に範を取り、最初は21年目に式年遷宮を行い、
以後は延期したり、規模を簡単にしながら、近年では、平成12年に式年遷宮を行っています。
外宮。
天津彦彦火瓊々芸命、天児屋根命、天太玉命、建御名方神、八坂刀自命が配祀されてます。
外宮別宮 多賀宮に豊受大御神荒魂、伊吹戸主神。
ぐるっと回ると内宮。
天手力男命、萬幡豊秋津姫命が配祀。
伊勢皇太神宮から直接御分霊を受けて、太神宮社が創建されたのは、
明治になるまではこの山口大神宮だけでした。
毛利氏の時代となっても、領主の社領寄進、鳥居建立など、ますます太神宮を尊み、
参拝者も多くなrと、西の御伊勢参りとか、山口参宮とか呼ばれました。
多賀神社。
天照大御神、 素戔嗚命、 少名彦名命、火具土神、国常立命、 応神天皇、菅原道真命、大内教弘命が配祀。
近江の多賀大社の御分霊を勧請した古社。大内弘世が社殿を建立し、さらに大内義興が重建しました。
社殿はもと水の上にあったけれど、山口大神宮境内に遷座。
国生みの神であることから延寿・安産の神、さらに縁結び、学業成就の信仰を集めてます。
高嶺稲荷神社。
現在の神楽殿の近くにあったものと思われます。
現在地に移され、農産物の守護、商売繁昌、三難(火・盗・病)消除の神様です。
外宮の前の鴻ノ峰登山口から登ると天照大御神・天手力男命を祀る岩戸社というものもあるそうです。