さすらいネコの旅

寺社巡りしています。

【奈良】霊山寺

初詣に向かった先。

富雄の里。古事記では「登美」の地となっています。

真言宗大本山の寺院で、山号は登美山または鼻高山。

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敏達天皇の頃からこの地方は小野家の領土で、

小野妹子の息子、右大臣小野富人が壬申の乱に加担した事で官を辞し、登美山に閑居。

熊野本宮に籠もった際に受けたお告げに従い、

登美山に薬師如来を祀り、病人を癒すために薬草を栽培し薬湯を設けました。

多くの人の病を治し、鼻高仙人と称され尊崇されました。

孝謙皇女が病に掛かった際に聖武天皇の夢枕に鼻高仙人が現れ、

湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとお告げがあり、行基菩薩が代参すると病が快癒。

聖武天皇行基菩薩に大堂の建立を勅命。

2年後にインドの僧、菩提僊那が来日され、

山の地相が故郷の霊鷲山にそっくりということから寺の名称を霊山寺としたそうです。

行基

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お寺ですが、入口には鳥居が立ちます。

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信仰の中心となっている大弁才天堂への入口を示すものだそうです。

平安時代弘法大師が来寺し、1㎞先の奥の院に大辯財天女尊を祀りました。

それまでは法相宗でしたが、弘法大師真言宗を伝えた事で

法相宗真言宗の2宗兼学の寺となりました。

鎌倉時代には北条氏の帰依が厚く、その後は豊臣秀吉により寺領百石を与えられ、

徳川幕府にも受け継がれて国家安泰、五穀豊穣、幕府の武運長久が祈願されました。

廃仏毀釈により、伽藍の規模は半減しましたが復興。

昭和以降は奥の院弁才天が信仰の中心となり、

弁才天を勧請して大弁才天堂を建立しました。

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七福神も。

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八体の仏像が並び、自分の干支と星座の守り本尊がお守りして下さいます。

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総金箔貼りの黄金殿、プラチナ箔を貼った白金殿。

それぞれ大辯財天と大龍神を祀ります。

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石段を上ると国宝の本堂があります。

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初詣なので人が多いです。

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階段を上った所は重要文化財の三重塔。

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境内にバラ庭園がある事で有名なので、その時期にまた改めて行きたいです。

 

御朱印は別日のです。

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