さすらいネコの旅

寺社巡りしています。

【京都】今宮神社

別名「玉の輿神社」!

朱色の門が鮮やかで目を引きます。

f:id:sasurai-neko:20161005164026j:plain

平安遷都以前からこの地には疫神、素戔嗚を祀る社があったとされます。

しばしば疫病や災厄が起こり、各地で御霊会が営まれていました。

994年、都で大規模な疫病が蔓延った為、

神輿を造って船岡山に安置し、疫災を幣帛に依り移らせて難波江に流しました。

その後も疫病が流行。

疫神を船岡山から再びここに移し、神殿を造らせて今宮社と名付け、

大己貴命事代主命奇稲田姫命の三柱の神をお祀り。

疫病が流行る度に御霊会が営まれ、やがて今宮社の祭礼(今宮祭)として定着しました。

 

桂昌院寄進の「お玉の井」。

f:id:sasurai-neko:20161005164027j:plain

こちらが桂昌院

f:id:sasurai-neko:20161005164036j:plain

八百屋に生まれた「お玉」が3代将軍家光の側室となり、

5代将軍綱吉の生母・桂昌院となりました。

この事が「玉の輿」という言葉の由来でもあります!

愛郷の念が強く、戦国の兵乱で荒廃していた社殿の造営に務めました。

f:id:sasurai-neko:20161005164029j:plainf:id:sasurai-neko:20161005164028j:plain

 

f:id:sasurai-neko:20161005164030j:plain

御朱印は見開きで頂けます!

f:id:sasurai-neko:20161005111032j:plain

今宮祭で使われる傘が描かれています。

花の精に煽られて飛散する悪疫 を、囃子や歌舞によって追い立て、

花を欺く風流傘に宿らせ、紫野疫社に送り込み、鎮める…というのがこの祭。

この中に入るとその年の厄を除かれるそうです。

 

特大記念スタンプが置かれています。

B5用紙に押してこれ。こんなの見た事無い!

 f:id:sasurai-neko:20161005110219j:plainf:id:sasurai-neko:20161005164032j:plain

まつぼっくりの置物が可愛いです。

f:id:sasurai-neko:20161005164033j:plain

阿呆賢さん。
掌で撫でて石を持ち上げ、軽く感じられれば、願いが叶います。

f:id:sasurai-neko:20161005164034j:plain

 

織姫社。

御祭神は栲幡千千姫命(高皇産霊尊の御子で天忍穂耳尊の妃。天火明命々杵尊の母)。

織物の巧みさ美しさを賞でられる神として技芸上達を願う人々の崇敬が篤く、

七夕伝説の織女に機織をお教えになられたとも言われ、織物の祖神とされています。

f:id:sasurai-neko:20161005164035j:plain

 

若宮社。

伊勢神宮にも若宮社があり、霊が祟りを成す時、

その祟りを弱める為により強い神格の下に祀ったそうです。

f:id:sasurai-neko:20161005164037j:plain

 

更に奥に進むと高台の上に月読社があります。

伊勢神宮の別宮月読宮の御祭神、月読尊を祀ります。

f:id:sasurai-neko:20161005164038j:plain

 

境内にはムクロジという木が植えられていますが、

この実が乾燥すると中から黒い種が出てきます。

これが羽根つきの羽根に使われるのだと掃除のおじさんが教えてくれました。

確かに硬くてそれっぽい音がします。

f:id:sasurai-neko:20161005164040j:plainf:id:sasurai-neko:20161005164043j:plain

 

神社を出ると、参道を挟んで右に「一文字屋和輔」、左に「かざりや」、

という2軒のあぶり餅のお店があります。

祭事で用いられた竹や供え餅を、参拝する人々に厄除けとして提供したのが始まり。

きな粉を塗した餅を炙って、白味噌のたれをかけています。

1000年以上の歴史を持つ「一文字和輔」は甘い子供向けの味、

江戸時代初期の創業の「かざりや」はあっさり大人味。

2軒で異なる白味噌を使っていて喧嘩していると言われていますが、

それが話題となって店を盛り上げている様です。

f:id:sasurai-neko:20161005164041j:plainf:id:sasurai-neko:20161005164042j:plain