大阪城の近く。
5世紀頃、勾玉を作っていた玉造部の居住地だったと言われています。
創祀は垂仁天皇の代。
聖徳太子が物部守屋公と争われた際、
この玉作岡に陣を敷き
「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願。
のちに枝葉が生じ、戦いも無事に終わったそうです。
主神は宇迦之御魂大神。
相殿に下照姫命、雅日女命、月読神、軻遇突智命を祀ります。
豊臣秀吉公は稲荷神を崇敬し、大阪城の鎮守神としました。
豊臣秀頼公の像。
兵乱により焼失した社殿を再建。
左は万慶稲荷神社、新山稲荷神社。
徳川時代の大坂城内各屋敷に祀られていた稲荷神を一社に集め、遷座。
右は豊臣秀頼公胞衣塚大明神。
秀頼公と母・淀殿を結ぶ卵膜・胎盤などの胞衣を祀っています!
子の悩み、夜泣きにも霊験あらたか。
豊臣秀頼公奉納の鳥居。
大阪での石製鳥居としては、四天王寺正門の鳥居と共に古く、
阪神淡路大震災により、基礎に損傷を受けました。
境内の隅にひっそりと立つ顕彰碑。
豊臣時代、玉造禰宜町の地で千利休が屋敷を構えていたと言われ、