【京都】三十三間堂
正式名は蓮華王院。その本堂が「三十三間堂」で国宝です。
南北にのびたお堂は内陣の柱間が33もあります。長さ約120m!!
お堂は80年後、市中からの火災により焼失して鎌倉期に再建されたのが現存のもの。
朱塗りの外装で、堂内は、花や雲文様の極彩色で飾られたといい、
今もわずかにその名残を停めています。
中に入ると1000体の千手観音立像がズラーーーッと並んでおり、圧倒されます。
太っていたり痩せていたり、眉の太さや鼻の高さ…。
パッと見皆同じ顔をしている様に見えますが、それぞれ微妙に違います。
自分に似た顔が見付かると言われていますが、私似は居ませんでした。
もしかしたら後ろの方にひっそり立っていたのかもしれないけれど、
見付けるのは困難を極めます。
本尊の背後にも1体あり、計1,001体。
建長元年に起きた火災の際、救い出された124体は創建時のもので、
他は鎌倉期の再建の折に約16年掛けて復興されたそうです。
中央には、本尊の千手観音坐像。
全体の高さが7mを超え、これもまた迫力があります。
観音菩薩は33種の姿に変じて衆生を救うそうです。
本尊と脇仏がそれぞれ33に化身する事から
「三十三間堂の仏の数は三万三千三十三体」と言われています。
『風神雷神図屏風』のモデルになったとも言われる風神・雷神が左右に、
本尊の周囲と手前には眷属の二十八部衆像が並びます。
信仰する者を守護するとされています。
御朱印は大悲殿。正式名の蓮華王院で書かれています。
千手観音がこんなにビッシリ並ぶ中、地震でも来たら大変だ…と思っていたら
地下震動を吸収する地盤、2本の梁で繋いで堅固にした柱間、揺れを予測した組み方、
土壁面積を極力小さくした上で、溝を切った柱に板壁として横板を落し込む等、
波に揺れて浮ぶ筏のような造りになっています。
ここは頭痛封じにも御利益があるそうです。
後白河上皇は長年頭痛に悩まされており、
「前世は熊野の蓮華坊という僧侶。蓮華坊の髑髏が川の底に沈んでいて、
その目穴から柳が生え、風が吹くと上皇の頭が痛むのだ」というお告げにより
その骸骨を見付け、三十三間堂の千手観音の中に納めて
柳の木を梁に使ったところ、上皇の頭痛は治ったそうです。
「蓮華王院」という名前は蓮華坊の名から取ったものとも言われています。
本堂裏の広い庭では毎年1月、新成人が振袖袴姿で行射する弓道大会が行われます。
江戸時代、お堂西縁の南端から軒天井に当たらない様に120mの距離を弓で射通し、
その矢数を競ったという伝統によるものだそうです。