さすらいネコの旅

寺社巡りしています。

【京都】金戒光明寺

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浄土宗大本山紫雲山・くろ谷。

本尊は阿弥陀如来

15歳で比叡山に登られた法然が43歳の時山頂の石の上で念仏。

光明が辺りを照らした事から この地に初めて草庵を結ばれました。

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西2㎞の京都御所、西10㎞の小倉山を眺め、18もの塔頭寺院が建ち並びます。

御影堂の文殊菩薩

奈良の「安倍の文殊」、天橋立の「切戸の文殊」と共に日本三文殊の一つです。

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ここは幕末京都守護職会津藩の本陣にもなり、新選組発祥の地。

江戸幕府は、何かある時に軍隊が配置できる様、

黒谷と知恩院をそれと分からない城構えとしました。

小高い岡になっており、要所にも近く、自然の要塞。

約4万坪の寺域には大小52の宿坊があり、

大方丈及び宿坊25ヶ寺を寄宿の為に明け渡しました。

八月十八日の政変の日、新選組の命名と共に市中取締の命を受けました。

 

話題のアフロ如来

こんなに大きな頭を持っているのに、目立たないところにひっそり座っていました。

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正しくは「五劫思惟阿弥陀仏」。

気の遠くなる程長い時間修行をした姿を現した仏像。

”劫”とは時の長さを表していて、”一劫”は

「四十里立方の大岩に天女が三年(百年とも)に一度舞い降りて羽衣で撫で、

その岩が無くなるまでの長い時間」の意味。

厳密に計算すると一劫は約43億年!ひぇー!

 

御朱印にもアフロ如来が押されています。

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土産物にもアフロ!

くせになる可愛さです!

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【京都】大豊神社

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哲学の道を進んで行くと着きます。

 

丸々太った狛犬。頭が平らです。

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御祭神は少彦名命、応仁天皇菅原道真

宇多天皇の病気平癒のため藤原淑子が創建。

兵火で焼失したが再建され、この辺一帯の産土神とされています。

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縁結び、健康長寿の大国社。

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大国主命をお祀り。

大国主命が火攻めに遭った際、ねずみが現れて洞窟にかくまってくれたそうです!

ねずみ年には嬉しい狛ねずみ!

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火難除けの愛宕社には狛鳶、災難除けの日吉社には狛猿。

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金運恵授の狛巳。

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動物盛り沢山で可愛らしい神社です。

 

御朱印の日付がサインペンだった事に衝撃。

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創建当時は背後の椿ヶ峰という山の中にあり、椿峰山天神と呼ばれていました。

今でも椿の名所です。

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【京都】法然院

静かで落ち着いた空間の向こうに見える光が美しい!

気持ちが高まります。

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山門を入ると、両側に白い盛り砂。

水を表す砂壇の間を通る事は

心身を清めて浄域に入る事を意味しているそうです。

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法然上人ゆかりの地。

後鳥羽上皇の熊野臨幸の留守中、院の女房が法然の弟子を慕って出家。

上皇の逆鱗に触れ、法然讃岐国へ流罪、弟子は死罪。

その後草庵は荒廃するが、

江戸時代初め、知恩院和尚が念佛道場を建立することを発願し、

現在の伽藍の基礎が築かれました。

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地蔵菩薩や石塔があります。

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緑豊かな境内です。

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【大阪】三光神社

大阪冬の陣真田丸があったとされる地。

真田幸村ゆかりのスポットが点在!

昔は姫山神社(姫の松原の遺称)と呼ばれていました。

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創立は反正天皇の御代。

御祭神は天照大神、月読尊、素戔鳴尊

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真田幸村の像。

その台座は信州上田の真田家菩提寺長谷寺より取り出した石が使われています。

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大坂城から通じる地下の抜け穴が三光宮鎮座の階下に今も残されている事に驚きです!

【大阪】玉造稲荷神社

大阪城の近く。

5世紀頃、勾玉を作っていた玉造部の居住地だったと言われています。

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創祀は垂仁天皇の代。

聖徳太子物部守屋公と争われた際、

この玉作岡に陣を敷き

「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願。

のちに枝葉が生じ、戦いも無事に終わったそうです。

 

主神は宇迦之御魂大神

相殿に下照姫命、雅日女命、月読神、軻遇突智命を祀ります。

豊臣秀吉公は稲荷神を崇敬し、大阪城鎮守神としました。

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豊臣秀頼公の像。

兵乱により焼失した社殿を再建。

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左は万慶稲荷神社、新山稲荷神社。

徳川時代大坂城内各屋敷に祀られていた稲荷神を一社に集め、遷座

右は豊臣秀頼公胞衣塚大明神。

秀頼公と母・淀殿を結ぶ卵膜・胎盤などの胞衣を祀っています!

子の悩み、夜泣きにも霊験あらたか。

 

豊臣秀頼公奉納の鳥居。

大阪での石製鳥居としては、四天王寺正門の鳥居と共に古く、

阪神淡路大震災により、基礎に損傷を受けました。

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境内の隅にひっそりと立つ顕彰碑。

豊臣時代、玉造禰宜町の地で千利休が屋敷を構えていたと言われ、

利休の茶の心「和敬静寂」が彫られています。

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【大阪】豊国神社

大阪城の桜門前に建ちます。

豊臣秀吉、秀頼、秀長公を祀る出世開運の神社。

中央には秀吉公の銅像

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明治天皇の命で、京都の阿弥院峯墓前を本社として社殿を造営。

大阪には豊国神社の別社として中之島字山崎の鼻に創立。

現在地には昭和36年遷座

この地は石山本願寺の宗徒が11年に渡り信長の猛攻に対抗し続けた要害堅固な土地。

秀吉公は居城を築くにあたり、この地を選んだそうです。

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秀吉と言えば猿。

この日は神戸の劇場から猿回しが来ていました。

可愛い服を着たお猿さんが見事な技を披露していました!

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【京都】吉田神社

859年、藤原山蔭が一門の氏神として春日大社の神を勧請したのが始まり。

後に藤原氏全体の氏神となりました。

祭神は勧請元の春日大社と同じ。

建御賀豆智命(武甕槌命

伊波比主命(経津主命

天之子八根命(天児屋根命

比売神

 

鎌倉以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職相伝するようになり、

室町末期には吉田兼倶吉田神道唯一神道)を創始しました。

吉田家は江戸時代、全国の神社の神職の任免権を与えられ、

明治になるまで神道界に大きな権威を持った家系です。

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境内は広く、裏の方は小高い山になっています。

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竜沢池。

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奈良の猿沢池を真似てつくられた池で、かつては雨乞い神事が行われていました。

 

お菓子の神様がいらっしゃり、製菓業者の信仰を集めます。

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山蔭神社は料理の神様。

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吉田神道の拠点として斎場所大元宮を建立。

八角形の本殿に六角の後房を付けた特異な形。

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祭神は天神地祇八百万神。

延喜式内社全3132座の天神地祇八百万神を祀っています。

この大元宮は御朱印にも押されています。

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木々に囲まれ、気持ちの良い神社でした。

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