【京都】吉田神社
859年、藤原山蔭が一門の氏神として春日大社の神を勧請したのが始まり。
祭神は勧請元の春日大社と同じ。
建御賀豆智命(武甕槌命)
伊波比主命(経津主命)
天之子八根命(天児屋根命)
鎌倉以降は、卜部氏(後の吉田家)が神職を相伝するようになり、
吉田家は江戸時代、全国の神社の神職の任免権を与えられ、
明治になるまで神道界に大きな権威を持った家系です。
境内は広く、裏の方は小高い山になっています。
竜沢池。
奈良の猿沢池を真似てつくられた池で、かつては雨乞い神事が行われていました。
吉田神道の拠点として斎場所大元宮を建立。
八角形の本殿に六角の後房を付けた特異な形。
祭神は天神地祇八百万神。
この大元宮は御朱印にも押されています。
木々に囲まれ、気持ちの良い神社でした。
【京都】護王神社
元は洛西の神護寺の境内に霊社として祀られていました。
護王大明神を授けられて「護王神社」と改称。
清麻呂公の生涯が絵巻になって紹介されています。
清麻呂公は称徳天皇に命じられて、そのご神託の真偽を確かめるため宇佐八幡へ赴き、
ご神託が偽物であったことを報告。
それから一年が経ち、朝廷では称徳天皇の崩御により道鏡は失脚し、
光仁天皇によって清麻呂公と広虫姫は許されて都へ呼び戻されました。
その後は桓武天皇の下、平安建都に力を尽くしました。
藤原仲麻呂の乱の折、375名の死刑者の減刑を天皇にお願いして流罪に改め、
乱の影響で身寄りを失った子ども達83人を養子として養育されました。
狛猪が奉納されており、「いのしし神社」とも呼ばれています。
拝殿。
そしてあちこちに猪。
手水舎の猪は、鼻を撫でると幸せが訪れるそうです!
全国から奉納された猪コレクション。
チェーンソーアート。
翼の生えた神猪が子猪を守る姿を彫刻。
この地の樹齢300年の桂の木をやむなく伐採した際の根株を使っているそうです。
両側には「昇り神猪と降り神猪」が展示されています。
ちなみに何故猪なのかというと…。
怒った道鏡が清麻呂公の足の腱を切り、九州の山奥に流刑としましたが、
その旅路、山の中から現れた300頭もの猪が道案内。
足萎えは不思議と治り、立って歩くことが出来る様になったと伝えられています。
この故事により、護王神社は足腰の守護神として広く崇敬されています。
御朱印。
清麻呂公の像。
神宮の遥拝所もあります。
さざれ石は幅3m、高さ2m!
歴代のお年玉記念切手の展示もしていました。
【京都】平野神社
平野神社は神社検定のテキストでもちょこちょこ出てきて気になっていました。
奈良末期、平城宮の宮中に今木大神が祀られていたのが、
平安遷都と同時にご遷座されました。
当初境内地は1500m四方で、現在の京都御所とほぼ同じ大きさでしたが、
現在は200m弱四方となりました。
御神木の大楠。
こちらは磁石を引き付ける石。
昔はこの石に神さまが宿っていると崇められていたそうです。
こぶし大以上の大きさの物はなかなか採れないという中で、
重さ200kg、高さ80cm、厚さ27cmの大きなすえひろがねは国内最大の大きさです。
しっかりパワーを頂きましょう。
境内は桜の名所。
せっかくなら春に参拝したいところでしたが、
時季外れの桜が歓迎してくれています。
拝殿。
その先に「平野造り」または「比翼春日造り」と呼ばれる二殿一体となった本殿が
2棟南北に建ち、ご祭神四座が順に祀られています。
その前年には久度大神、古開大神、比賣大神が祀られています。
今木皇大神…源気新生、活力生成の神
久度大神…竈の神、生活安泰の神
古開大神…邪気を振り開く平安の神
比賣大神…生産力の神
知らない神様ばかり…。
「延喜式」によれば、全国唯一の皇太子御親祭が定められた神社。
全国でも数社に限られる「皇大御神・皇大神」「神宮」「神院」等と称され、
宮中外の宮中神であったそうです。
奈良末期から「臣籍降下」の制度が定まり、
皇族が源氏、平氏などの姓を賜り臣下になり、
彼らの氏神であるとされていたからだそうです。
境内社。
春日社、住吉社、蛭子社、八幡社。
御朱印には桜のハンコ。
神使のりす御籤も桜を抱いています。