【京都】岡崎神社
平安神宮近くに鎮座する岡崎神社。
平安京遷都に際し王城鎮護の為平安京の四方に建立された社の一つ。
陽のいずる都の東(卯の方位)に鎮座する事から東天王と称しました。
御祭神は素戔嗚尊、櫛稲田媛命とその御子・三女五男八柱御子神。
速素盞嗚尊は八俣大蛇から奇稲田姫命を救う為、
姫を小さな櫛にして御髪に刺し、見事に退治。
姫と結ばれた有名な故事により、縁結びの神とされています。
拝殿の前には狛兎。
右が雄、左が雌。頭をなでることで縁結び・夫婦和合の祈願となります。
こちらは招き兎。
向かって右が左手で招く縁結びの兎。向かって左が右手で招く金運の兎です。
ご祭神二柱は子宝に恵まれた霊験あらたかな子授け安産の神。
また、地域一帯が野兎の生息地で、多産な兎は古くから氏神様の神使い。
治承二年には中宮も御産の際に安産の祈願をされました。
手水舎には黒御影石で出来た子授け兎。
月を仰ぎ体に力を満たした兎。
水を掛けてお腹を擦り祈願すると、子宝に恵まれ安産になるそうです。
御朱印にも兎の印が!やったー!
兎みくじ。
つぶらな瞳でこちらを見ています。なんて可愛いのでしょう!
参拝者の兎みくじが並んでいます。
境内の兎を探すのも楽しいです。
【京都】平安神宮
平安遷都1100年を記念して明治に建てられた平安神宮。
その広さに驚きました!!
大きな鳥居があり、應天門の先に大極殿が見えています。
朱色の柱と緑の瓦が上品な色味で、まさに都という感じです。
比較的新しい神社という事で少し侮っていたところもありましたが、
自分がジオラマの中に居る様な…
1200年前にタイムスリップした様な…不思議な感覚でした。
8分の5の規模で再現されているそうなので、実際はもっと壮大。
御祭神は第50代桓武天皇。
平安京最後の天皇、第121代孝明天皇が昭和の時代に合祀されています。
桓武天皇は平城京の規模が小さく、都として適していないと考えて
長岡京、更に平安京に都を移し、在位25年の間に国の発展に努めました。
以来明治に至る1000余年の間、平安京は国都として栄えてきました。
幕末の戦乱で市街地が荒廃。
首都が東京へ遷ってしまい、一連の町おこし事業で平安神宮が創建されています。
回廊を囲む様に庭園がありますが、時間が無かった為回れませんでした。
平安神宮を四神が護っています!素敵過ぎる!!
境内にも白虎、青龍の像があります。
玄武の上賀茂神社、青龍の八坂神社、白虎の松尾大社、朱雀の城南宮が
平安神宮を護る様に取り囲んでいると聞いており、
平安神宮の位置がちょっとおかしいんじゃないかと思っていたら
用地買収に失敗して郊外に復元しているそうです。
実際の位置はもっと西です。
これで四神相応の5社を制覇できました!
【京都】宝蔵寺
浄土宗西山深草派 無量山如意輪 宝蔵寺。
空海の創立と伝えられ、その後、如輪上人により元西壬生郷に開基。
豊臣秀吉の寺町整備により寺町の裏側に当たる裏寺町に移転。
幕末、蛤御門の変により全焼。現在の本堂は昭和7年に建立。
御本尊は阿弥陀如来像ですが、拝観は出来ません。
境内には伊藤若冲建立の伊藤家祖先のお墓があります。
伊藤若冲とは江戸時代中期の画家。
墓石にある様な髑髏の絵を描いています。
そして御朱印にはこの髑髏の印が押されています!
髑髏版の御朱印は季節によって色んな色を出している様で、
私は黄色のマリーゴールドを頂きました!
髑髏のトートバッグ等のグッズも販売しています。
でも若冲は髑髏の絵だけでなく、鶏の絵なんかが有名らしいです。
一説に同志により奪還され、愛知県岡崎市の法蔵寺に葬られたとも言われています。
かつて勇が信頼、敬慕していた宝蔵寺の和尚を訪ねて首の埋葬を依頼するも、
和尚は半年前に京都より法蔵寺に転任されており、
法蔵寺が徳川家康ゆかりの寺という事もあり、そちらに埋葬されたそうです。
【京都】頂法寺
「六角さん」「六角堂」と呼ばれています。
なぜなら…本堂は上空から見ると六角形になっています!
隣のビルから覗けます。
詠歌に「わが思う心のうちは六の角ただ円かれと祈るなりけり」とあります。
「六の角」とは六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)によって生ずる六欲の事。
人間の欲望、煩悩を脱して角を無くし、円満になる事、
つまり「六根清浄を願う」という祈りを込めて六つの角を造ったと伝えられています。
勝利を収めると、大阪四天王寺建立の為の用材を求めてこの地に来られました。
木の枝に護持仏を掛けて沐浴をされ、手に戻そうとすると枝から離れません。
「この場所に留まって衆生の救済に当たりたい」という仏のお告げにより、
ここにお堂を建てたそうです。
西国三十三所十八番札所・洛陽三十三所一番札所という事で、
御朱印も種類がありましたが、六角堂を頂きました!
太子が沐浴されたと伝えられる池跡には白鳥が泳いでいます。
手前の建物は太子堂。太子ご自作と伝えられる南無仏の像が安置されています。
ちなみにこの地は生け花発祥の地とも言われています。
池の畔に小野妹子を始祖と伝える僧侶の住坊があり、
朝夕宝前に花を供え、代々いけばなの名手として知られるようになったそうです。
木の枝には梟が止まっています!
境内には鳩が住みついており、あちこちを我が物顔で闊歩しています。
涼しい所を求めてお昼寝している姿が面白いです。
鳩みくじが可愛い。
お地蔵さんの元には参拝者が奉納した鳩みくじが綺麗に並んでいます!
六角柳。
お化け柳かと思ったら「縁結びの柳」として親しまれているものでした!
「六角堂の柳を見よ」とのお告げがあり、行ってみると絶世の美女が居たそうです。
ここに御神籤を結んでおくべきでした…。
敷石の中央に「へそ石」。
かつてはここが京都の中心地でした。
平安遷都の折り、六角堂が道路の中央にあたったので、
桓武天皇の勅使が出向いて六角堂に向かってお願いしました。
「この土地を離れたくないならば、お移り頂きたい」
すると六角堂が独りでに15mばかり北へ退いた言われています。
その際に取り残されたへそ石を明治の始めに移したものです。
にこにこ顔の十六羅漢は「和顔愛語」を実践。
優しい顔つきで穏やかに話をする様に心掛けていれば、必ず良い報いがある、
と説かれたものです。
「十六」はあらゆる場所に羅漢様がおられることを意味しており、
「羅漢」とは仏の教えを護り伝えることの出来る優れたお坊様に与えられた名前です。
他にも像は色々あります。
リアル過ぎるとちょっと違和感があります。
【京都】飛行神社
航空関係の神様を祀る神社。
飛行機にも使われるというジュラルミンの鳥居に興味があり参拝。
植木に刺さっているので残念ながら触れる事は出来ませんでしたが、
ピカピカと輝いていました。
パルテノン神殿を思わせる拝殿。屋根にはステンドグラス!
神社っぽくなくて独特。
右社殿には航空殉難者の霊を合祀、
左社殿には薬業に関係の深い薬祖神を祀っています。
饒速日命は古代の空の神。
天磐船という飛行船に乗って天降り、その地に磐船神社があるそうです。
紙飛行機おみくじがあります。
引いたおみくじで飛行機を折って、鳥居目掛けて飛ばします。
御朱印にはプロペラ!
二宮忠八資料館が併設されています。
日本人として最初のゴム動力によるカラス型飛行器の飛行に成功した人物。
独創的で奇抜な凧を作り「忠八凧」と呼ばれていました。
日清戦争に出兵し、飛行器を軍に供用しようと考えたが却下され
自力で完成に向かっていたところ、ライト兄弟に先を越されて断念したそうです。
それでも大正時代、飛行機による犠牲者を慰める為、
自邸内に私財を投じて飛行神社を創建したそうで、飛行機に対する愛を感じます。
【京都】石清水八幡宮
石清水八幡宮は都から見て裏鬼門に当たります。
鬼門に位置する比叡山延暦寺とともに都の守護、国家鎮護の社であります。
「都の近く、男山の峯で国家を鎮護しよう」と託宣を受けて鎮座。
今年初めに社殿が国宝に!
南総門~拝殿。広いです。
伊勢神宮に次ぐ第二の宗廟とされ、皇室の崇敬も厚く、
天皇・上皇、歴史上の人物も多く参詣しており、偉大さが窺われます。
朱色の建物が美しい拝殿。
御祭神は総称して八幡三所大神(八幡大神)。
中御前-応神天皇〔誉田別尊〕
西御前-比咩大神〔多紀理毘賣命・市寸島姫命・多岐津比賣命〕
東御前-神功皇后〔息長帯比賣命〕
源氏が氏神として崇敬。
御朱印は八幡大神。
八の字が神使の鳩になっていると聞いていたのですが、
書ける人が限られているそうで、鳩には当たりませんでした。
でも鳩みくじで気分が上がりました!
東北の方角にひっそりと植えられていた木。
招霊(おがたま)の木と呼ばれていますが、一円玉の絵になっている木だそうです!
寄せ集められた丸い果実の形状から、
巫女が舞う際の神楽鈴が作られたと伝えられています。
瓦と土を何層にも重ねた塀は織田信長寄進。
銃撃に備え、耐火性、耐久性に優れているそうです。
校倉造りの宝蔵。
江戸時代にはあったそうですが、建築年代は不明。でもオシャレ。
朱色の建物に囲まれた中で異彩を放っています。
軒下には象らしきものも居ます。
エジソン記念碑が建っています。
何故だろうと思ったら、
エジソンは八幡の竹を使っての白熱電球の長時間点灯、実用化に成功したそうです。
言われてみれば近くに竹藪が!
シンボルタワー涌峯塔とボーイスカウト像。
回ったところはほんの一部。
森に囲まれ、周囲は社殿や摂末社が点在しています!
【京都】長円寺
大阪から京都に向かう京街道の途中、淀の入り口に建立。
壽豊山観音院。浄土宗のお寺です。
新選組ゆかりの地。
御本尊は阿弥陀如来。
本堂には入れません。
観音堂の足立観音は八幡大菩薩の化身とされています。
屋根には鬼瓦が!
八月十八日の政変で京都から追い出された長州藩は大山崎の八幡神社に集いますが、
京都への入り口にあるこのお寺にも参拝されたそうです。
観光地という感じではなく、境内に入るのも躊躇われましたが、
閻魔堂にある太鼓を叩いて祈願していると
住職さんが出て来て由来等を説明して頂きました。
幕府軍から拝まれた閻魔王。恐ろしい形相です。
鳥羽伏見の戦いで幕府軍は敗退。
閻魔王・足立観音が安置される長円寺は
戦場にならなかった事から野戦病院となりました。
期間限定の白銀御朱印には閻魔王と新選組の印が押されています!
7月末で終わりだったそうですが、ギリギリ残っていました!
カッコ良い~。
榎本武揚著の「戊辰役東軍戦死者之碑」。