【犬上郡】多賀大社
「お多賀さん」で親しまれる滋賀県第一の大社。
生命の親神である事から、延命長寿・縁結び・厄除けの神様として信仰を集めています。
中世から近世にかけて伊勢・熊野と共に庶民の参詣で賑わい、
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」
「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあります。
東大寺を再建した僧・重源が座り込むと眠るように亡くなったと伝わる寿命石。
61歳の時、東大寺再建の成就祈願のため伊勢神宮に参籠したところ天照大神が現れ、
「多賀神に祈願せよ」と告げました。
参拝すると、柏の葉が舞い落ちて「莚」の字の形に虫食い跡が残っており、
「廿」と「延」に分けられる事から「寿命が二十年延びる」と読み解き、
以後20年にわたる努力を続けて再建を成し遂げたそうです。
神紋の一つ「虫くい折れ柏紋」はこの伝承が由来です。
太閤橋。
多賀社への信仰が厚かった豊臣秀吉は母の延命を祈願して成就した為、
社殿改修を行って大名に与えるに等しい1万石を寄進しました。
杓文字の絵馬。
元正天皇の病気に際し、神主が強飯を炊き、しでの木で作った杓子を献上。
天皇はたちまち治癒されたと伝え、そのしでの木が現存する飯盛木。
杓子は「お多賀杓子」として有名で、「お玉杓子」の名の由来とされています。
境内を散策。
木々の間から漏れる光が神聖な雰囲気を醸し出しています。
東に約6kmの地に杉坂峠の三本杉があり、ご神木だそうです。
国生みの大業を終えられた伊邪那岐大神はこの峠に天降られ、休息。
土地の老人が粟の飯を献上し、
食後その杉箸を地面に刺したところ、杉箸が根付いて大木になったと言われています。
最後に多賀名物の糸切餅。
元寇の後、平和が戻ったのを喜んだ里人が、
お団子に蒙古軍旗の青赤の線を描き弓の弦で切って神前に供えました。
それが多賀大社に伝わり名物となりました。
糸で切るので糸切餅と呼びます。